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札幌高等裁判所 昭和50年(う)23号 判決

被告人 明こと谷口明代

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一二〇日を原判決の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人高野国雄、同入江五郎共同提出の、被告人提出(ただし第二章のうち〈6〉項を除く)の各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれらを引用したうえ当裁判所はつぎのように判断する。

各控訴趣意中事実誤認の主張について

論旨は要するに、原判決は判示第四において、被告人に対し強盗致傷罪の成立を肯定したが、被告人には強盗の犯意がなく、またその脅迫行為は被害者の反抗を抑圧するものでないから、いずれにしても、強盗致傷罪は成立しない。被告人は被害者に自動車を運転させて逃走しようと意図したものであり、このことは被告人が運転席側のドアに行つて被害者を車外に排除しようとせず、最初から自動車の前を通り、助手席側ドアから乗車しようとした事実に徴し明らかである。しかるに同所のドアが施錠されていたため、自動車後方を経て運転席側に廻り、前同一意図の下に登山用ナイフを示して被害者を脅迫中、傷害を受けた同人が逃げ去る結果となつたので、警察に通報され、一層逮捕の危険が強まることを恐れ、自動車に乗り込み発進しようとしたのである。他方犯行に使用した登山用ナイフの性質、被告人と被害者との体格の差、両者が相対じした位置関係その他の状況を総合すると被告人の脅迫行為はいまだ被害者の反抗を抑圧するに足りるものとはいえない。以上の次第で被告人の所為は強要未遂、傷害、窃盗未遂の各罪か、仮りに当初から自動車を奪う意思があつたとしても、せいぜい恐喝未遂、傷害の両罪が成立するに過ぎず、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり破棄を免れない、というのである。

そこで一件記録および証拠物を精査し、当審における事実取調の結果をも加えて審按するに、原判決の認定した事実関係は所論の点も含めて、原判決挙示の証拠により優にこれを肯認することができる。被告人に強盗の意思があつたか否か、また、その脅迫行為が被害者の反抗を抑圧するに足りるものであるか否かの点については、原判決において詳細な判断を加えており、その説示するところは首肯するに足りるが、所論にかんがみ若干補足説明を加える。

(一)  まず、犯意の点について考察するに、たしかに被告人は原審および当審において、所論にそう供述をしているが、原判決六枚目裏一三行目から七枚目裏五行目までに摘記された関係証拠上明らかな客観的諸事実と対比し、なお被告人の捜査官に対する自供すなわち、被告人の司法警察員(昭和四九年九月一九日付)および検察官(同日付のうちその二、同月二六日付、同年一〇月四日付)に対する各供述調書中の、「自動車を奪おうとして登山用ナイフをつきつけた」、「おどかして自動車を取つてしまおうと考え、登山用ナイフをつきつけた」という趣旨の供述とも比照して勘案すると、たやすくこれを採用しがたい。もつとも、所論は右各供述調書の信用性を否定し、その理由を種々指摘するけれども、その供述内容は原判決説示の右客観的諸事実すなわち犯行当時の被告人の行動、態様等の客観的状況に照応するばかりでなく、被告人は捜査段階では黙秘権を行使して詳細な供述を拒否しながらも、右犯意を含む犯行の要旨を数回にわたり供述しているのであつて、その供述が他から不当な影響を受けた形跡は窺われないことなどに徴すると、その信用性は肯認するに足りるものというべきである。

所論は、被告人が最初から自動車の前を通つて助手席側ドアから乗車しようと試みたことは、被害者を強制して自動車を運転させようと意図したからであり、また、それが警察への通報と逮捕の危険を回避する最良の方法である旨主張するけれども、助手席側ドアから乗車すると同時に、被害者を強制して、運転席側ドアから車外に排除することもむしろ容易であるから、右の事情をもつて、強盗の犯意の存在を否定する根拠とするわけにはいかない。また、被告人が警察官からの追跡継続中に本件犯行に及んだものでないことも所論のとおりであるが、本件現場は、職務質問を受けた日時、場所から時間的にも距離的にも接近しているばかりか、逃走中殺人に使用する目的で携行していたナタを投げ捨てたことも加わり、被告人としては、一刻も早く白老町から離れたい気持を有していたことや運転免許を有し、運転技術を持ちながら、自ら運転せず、被害者を強制して、自己の意のままに自動車を運転させて逃走の目的を達することの困難を考えると、被告人が自動車を発見し、咄嗟に被害者を下車させることによる警察への通報や、被害者に運転させる方法が、検問所通過の際有利であることなどを配慮したか否かも疑問であつて、この点に関する被告人の原審および当審公判廷での各供述部分はすでに説示したようにたやすく採用しがたい。さらに記録および当審における事実取調の結果に徴しても、被告人が前記捜査官に対し、自動車を奪うことまたは自動車を取ることと被害者を強制して自動車を運転させることを同一意味に理解し、無差別に供述したとは思われず、これを窺わせるに足りる証拠は存しない。結局被告人が被害者に登山用ナイフを示した際には車を自ら奪取し自己の支配下に置く意思を有していたことについて、原判決の認定説示するところは十分首肯しうるところであり、これに反する所論は採用しえない。

(二)  つぎに被告人のした脅迫行為の程度について検討するに、本件においては、被告人が単に言語のみを使用して害悪を告知し、周囲の状況と相まつて、被害者の反抗を抑圧したような場合と異なり、白昼とはいえ、自動車の後方を通り、たまたま自動車から下車し、被告人の方を向き直つた被害者に対し、不意に原判示の形状の登山用ナイフを右手に持つて身構えたものであつて、右ナイフが殺傷のための兇器としての使用に耐える以上、被告人の右所為は、被害者に対し、生命、身体に危害を加える旨を暗黙のうちに通告するものというべく、所論の状況を考慮に入れても、社会通念上一般的に被害者の反抗を抑圧するに足りる程度の脅迫にあたるものと解されるから、これに反する所論も失当である。

なお、所論は以上のほか右(一)および(二)の各点につき、種々主張するが、いずれも措信できない被告人の供述に依拠したものか、または、独自の見解に立つて原判決が適法になした証拠の取捨判断を非難し、事実誤認ないし審理不尽等を主張するものであつて採用しがたい。

以上検討したように被告人には自動車奪取の意思があり、原判示の脅迫行為に出でて被害者の反抗を抑圧し、その結果被害者に傷害を与えた以上、原判決が本件に対し強盗致傷罪をもつて問擬したのは相当である。論旨はいずれも理由がない。

弁護人の控訴趣意中法令の解釈適用の誤りについて

論旨は、(一)原判決は被告人の判示第一の所為に対し、器物損壊罪の罰条を適用したが、本件により歌碑等を汚損した程度は軽微であるから、器物損壊罪の構成要件たる「損壊」にあたらず、むしろ軽犯罪法一条三三号後段の「工作物を汚す罪」をもつて処断すべきものであり、また、(二)原判決は被告人が判示第二の日時、場所において白老町長浅利義市を殺害するため、その兇器に使用する目的でナタおよび登山用ナイフ各一丁を携帯して同人を待ち伏せし、殺人の予備をした事実を、判示第三において、被告人が右日時、場所において、右ナタおよび登山用ナイフ各一丁を不法に携帯していた事実を認定し、法令の適用の項において、以上はその余の各罪とともに併合罪の関係にあるものとし、刑法四五条前段を適用しているが、右両罪は同一日時、場所において、ナタおよび登山用ナイフ各一丁を携帯していたという点において、事実が重なつているから、観念的競合の場合に該当し、同法五四条一項前段を適用すべきものである。原判決は右の二点において法令の解釈、適用の誤りがある、というのである。

そこでまず右(一)の所論について検討するに、刑法二六一条の「損壊」とは器物本来の効用の全部または一部を失わしめる一切の行為をいい、したがつて単に器物を物質的に変更または毀損する場合のみならず、物質的、有形的に変更、毀損を加えないまでも、これを著しく汚損して、その清潔、美観を害し、事実上もしくは感情上その物を本来の用途に使用しえないような状態に変更する場合をも含むと解すべきである。他方軽犯罪法一条三三号後段の工作物「汚す」とは工作物の美観を害することをいうが、その汚損の程度が軽く、その物本来の用途に使用することを妨げるほどに至らない場合を意味するものと解するのが相当である。関係の証拠によれば、本件において、被告人が汚損に用いた塗料およびその使用の態様の詳細は原判示のとおりであつて、本件歌碑は碑面に黄色ペンキを流され、灰色バテを塗りつけられて汚された結果日高むらさき石に刻んだ歌および作者の名前の部分は殆んど判読することができず、また、歌碑に付置され、これと一体となつている寄贈者氏名入り石板の表、裏の両面に刻んだ氏名の一部も読み取れず、右の状態のまま相当な期間(昭和四九年八月四日から同月末まで)放置されたものであり、歌碑の美観の著しく害されたことが認められる。そして、詩歌の石碑は詩歌そのものを賛美するとともに観覧者に対し、作者の名を認識させて、永く後世に伝えることを本来の目的とすることはいうまでもないから、前記のような汚損は単に歌碑の美観を著しく害するに止まらず、歌碑本来の効用を失わしめたものというべきである。してみれば、被告人の本件所為は所論のように軽犯罪法一条三三号にいうみだりに他人の工作物を「汚した」場合にあたるとして軽犯罪法違反に止まるものと解すべきではなく、刑法二六一条にいう他人の物の「損壊」に該当するものとして、器物損壊罪を構成するものと解するのが相当である。

つぎに右(二)の所論について考察するに、刑法五四条一項前段にいう一個の行為とは、法律的評価をはなれた構成要件的観察を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものと評価をうける場合をいうものと解すべきところ(最高裁判所昭和四七年(あ)第一八九六号昭和四九年五月二九日大法廷判決、最高裁判所刑事判例集二八巻四号一一四頁参照)、これを本件についてみると、原判示第二の殺人予備の所為は、被告人が白老町長浅利義市を殺害しようと企て、武器として本件ナタ一丁、登山用ナイフ一丁を買い入れ、ナタの柄の部分に紐をビニールテープでとりつけてナタが手から離れないように工作し、これで下宿先の部屋の柱を試し斬りするなどの練習をしたうえ、原判示の檄文、浅利町長の顔写真が掲載してある雑誌の写真部分を切り抜き、擬装爆弾などとともに前記ナタおよび登山ナイフ各一丁を携帯し、原判示の日時、場所に赴いて、右浅利町長の出勤を待ち伏せしたことを内容としていることは原判文上明白であつて、その行為、動態は殺人の企図のもとに時間的継続と場所的移動を伴う一連の行為と目されるのに対し、原判示第三の右ナタおよび登山用ナイフ各一丁の不法携帯の行為は、右殺人予備における一連の行為中の一定の時点・場所におけるものであつて、前記の自然的観察からするならば、社会的見解上右殺人予備の一連の行為とは可分的な別個独立の行為と評価すべきものである。したがつて、これを刑法五四条一項前段にいう一個の行為とみることはできず、両者は併合罪の関係にあるものと解するのが相当である。

してみると、原判決が判示第一の所為につき器物損壊罪の罰条を、また、判示第二および第三の各罪を併合罪と解して所定の法条を適用したのはいずれも正当であり、論旨は理由がない。

各控訴趣意中量刑不当の主張について

論旨はいずれも被告人を懲役四年六月に処した原判決の量刑は重きに失し不当である、というのである。

そこで一件記録および証拠物を精査し、当審における事実取調の結果をも加えて考察するに、本件各犯行の事実関係は原判決摘示のとおりであり、その主要な情状として原判決が「量刑の事由」の項において説示するところは当裁判所においてもおおむね首肯することができる。所論は右説示の片言雙語をとらえ、原判決は被告人の思想そのものを断罪したとか被告人の政治的思想によつて量刑を過重にした旨主張するけれども、右は原判決の説示するところを正しく理解したものとはいいがたい。また、所論はアイヌ民族の歴史と現状、アイヌ問題に関する国の施策ないしいわゆる和人の態度、白老町長浅利義市および金田一京助がアイヌ侵略者として果した地位、役割等を縷々述べたうえ、原判決の右説示を批難する。しかしながら原判決を指摘するように被告人がアイヌ問題に対し、いかなる見解を採るにせよ、自己の主張を貫徹するために手段をえらばず、暴力を行使することは日本国憲法および法律のもとにおいて、とうてい是認しえないところであつて、自己の主張をいわゆるテロ行為により遂行するためにした被告人の原判示第二、第三の各所為、その逃走の際に犯した第四の所為はとりわけきびしい非難を免れえないところであり、これに反する所論はたやすく採用しがたい。

そして本件各犯行の罪質、犯行の経緯、態様、結果および本件が社会一般に与えた影響その他諸般の事情を合わせ考察すると、幸いに殺人は予備に止まり、強盗傷人の傷害は偶発的な事情により生じたものと認められること、被告人はこれまでに前科のないこと、被告人が若年であること、被告人の家庭事情など被告人のため酌むべき情状一切を十分考慮に入れてみても、被告人が原判決程度の刑に服するのはまことにやむをえないものというほかなく、これが重きに失し不当であるとは考えられない。論旨はいずれも理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数中一二〇日を刑法二一条により原判決の本刑に算入し、当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書によりその全部を被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決をする。

(裁判官 粕谷俊治 横田安弘 太田実)

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